戦前に貸した母屋が残っていた。
引き揚げてきた一家はそこに転がりこんだ。
田畑も僅かだがあった。
しかし、現金がない、生活には現金がいる。
兄亡きあとわたしが長男で、下に弟2人妹2人と7人家族で賑な家族である。
食い扶持を探さねばと小学4年生で、厳しい人生の現場が立ちはだかる。
痩せた父親(38)が大八車を引き、後ろから車を押すのがわたしの仕事。
小学四年生(11)では力にならない。しかし、頼りはわたししかいない。
赤坂山に集落共同で薪を取りに行き一日が暮れる。
翌日、あたりが薄暗い夜明け前に、父親とわたしは大八車に薪を積んで、8キロ先の佐賀市内で売り歩く。
売り切ると疲れた体をかばいながら、トボトボと歩き帰路に着く。そのような毎日が続く。
世の中が分からないわたしは、父の指示に従って行くだけだ。
素直について行った。
わずかな現金を頼って家族7人が身をよせ固まっていた。
当時を振り返ると、車といえば大八車。まだリヤカーは普及していなかった。
戦後で誰もが貧しかった。
しかし、子供たちは一日中遊びほうけて疲れた。
わたしは暗い気持ちだった。
貧しい生活にわたしはひがんでいた。
1950年代のころ。
========== ご相談・お問い合わせ =========
株式会社シグマ
【本社】
〒840-0857
佐賀県佐賀市鍋島町八戸3005番地
TEL 0952-26-7661(代表)
FAX 0952-22-8434