1953年、川上中(現大和中)を卒業した。
父が集落の古川常次さんにお願いして就職先が決まった。
T電機製作所の協力工場である。
毎朝、勤務先まで自転車で40 分かけ舗装のない公道を往復した。
仕事は親会社への納品や部品の受け取りで、当時はリヤカーを引き往復した。
受け答えは元気よくハイ、テキパキと行動する。わたしの仕事ぶりをじっと見ていた一人の人がいた。
当時、金立町にお住いの鉄工職場の内田さんである。
ある日わたしに声をかけてくれ「おい堤、今のままじゃ〜一生職工で終わるぞ」。
わたしはそのひと言で気持ちを切り替え、佐賀工業高校電気科定時制に進学を決心した。
入学試験に合格したわたしに一条の光が射し、希望が湧き、明かりが灯った。
当時の定時制は働きながら学ぶ同級生が県内各地から多く集まり、賑やかにそれぞれの夢を語りあった。
毎朝、弁当二つを持って家をでる。
昼の弁当と夜の弁当である。
母親の苦労は大変だっといまでも感謝している。
1954年の話に戻る。
定時制2年の時、熊本大学電気工学部卒業の阿野静也先生が赴任してこられた。
先生は生徒たちを前にこう諭された。
「日本はやがて電気の時代がやってくる」「電気の国家資格を取りなさい」。
わたしは先生のひと言に納得した。
電験三種(第三種電気主任技術者)を受験しようと仲間と語り合い決意した。
定時制の授業が終わったあと、受験勉強を教室で始めた。
先生の指導を受けて勉強がどんどん軌道にのってきた。
帰宅するのは毎日午後10時過ぎである。
疲れていたが目標があれば乗り越える覚悟だ。
仲間ともそれぞれの夢を実現するために共に励まし合った。
勤務先への往路は、左片手で自転車ハンドルを握りしめ、右手に電気法規の本を開き、読みながら暗記に努め受験に備えた。
交錯する多くの自転車と事故を起こすこともなかった。
いま考えると冷や汗ものである。
電験三種の一次試験には無事合格したが、二次試験は不合格のまま電気科定時制を卒業した。
余禄1
阿野静也先生はのちに教職を辞め、オムロンに転職されたと後で知った。
先生はオムロンで商品開発を担当。
同僚4人で、JRの自動改札装置を発明されたと聞いた。
時代に先駆けて商品を開発されたことと、生徒たちに行く道を示唆された
ことで先生の先見性を強く感じる。
近況報告をしなくてはと思い電話をかけた。京都にお住まいだった。
電話口に出られた奥さまが、わたしの話を聞きながら、
「主人は亡くなりました」と告げられ、驚きで返す言葉を失った。
卒業写真で優しいお顔を拝見、とても懐かしく当時を思い出した。
恩返しは先生にはできなかったが、社会貢献を通してお返ししたい。
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